柳原白蓮と白蓮事件のまとめ

柳原白蓮と白蓮事件に関する情報をまとめてお届け致します!

旧伊藤伝右衛門邸の館内を画像でご紹介

PR

f:id:all-of-me:20140725210228j:plain

このページでは旧伊藤伝右衛門邸の館内を画像でご紹介しております。

以下、本ページの目次となります。

  • 玄関
  • 応接間
  • 書斎
  • 角之間
  • 本座敷
  • 中之間
  • 中座敷(主人居間)
  • 奥座敷
  • 二階座敷(白蓮の居室)
  • 水洗トイレ
  • 食堂
  • 洗面所・浴室
  • 西座敷(裁縫室)

PR

玄関

玄関は花崗岩の石貼りの土間、敷居の内側は人造タイル張り、低い上がり段も花崗岩で奢っています。

着物の女性に配慮した低い框の組み合わせが、来客を柔らかく迎え入れる雰囲気を作り出しました。

f:id:all-of-me:20140726103958j:plain

高田忠周書扁額

玄関正面の額は書家高田忠周の作品です。

右から「和協輯睦(わきょうしゅうぼく)」と読みます。

左側は「丙子初夏日篆 伊藤大人雅属 竹山逸子忠周(ひのえしょかじつてん いとうたいじんがしょく ちくざんいっしただちか)と読みます。

1936年(昭和11年)の初夏に、高田忠周が伊藤伝右衛門に頼まれて篆書で書きましたという意味です。

伊藤大人は伊藤伝右衛門のことです。

逸子はまずい書家であると自分を謙遜する言葉です。

応接間

f:id:all-of-me:20140725210529j:plain

腰壁を高く貼った本格的な洋間です。

マントルピースにはアールヌーボ風ビクトリアンタイルを配し、格調高い英国風の演出がなされています。

床は精緻な寄木張り。

f:id:all-of-me:20140726104857j:plain

南側にも設けた出窓の欄間に嵌めこまれているのは英国製でダイヤ模様のステンドグラスです。

書斎

f:id:all-of-me:20140726091813j:plain

西側に書棚を設け床は寄木張り。壁は帯を解いた絹の繊維を塗りこめた珍しい布壁です。板戸には背景に金粉を散りばめて四季の草花が描かれています。制作者は鞍手郡植木町(現直方市)出身で帝展審査員の阿部春峰。出窓の欄間には英国製のステンドグラスが輝きます。

角之間

f:id:all-of-me:20140726090218j:plain

5畳ほどの畳敷きの間で、この邸宅の中心に位置します。

中程に炉が造られた茶室です。

丸太の長押、竹の落掛け、床壁は錆土壁、東に中庭を眺めることが出来ます。

渡り廊下の西側中央に横長の躙口を設け、その北側に水屋があります。

f:id:all-of-me:20140726090235j:plain

天井は網代に組まれています。

f:id:all-of-me:20140726090223j:plain

写真の左側に見える掛け軸には「うくひすはいまをはしめのねのことく 昔をおもふその日を思ふ」と書かれています。

そして、掛け軸の右にあるのは木彫の御所人形「明丸」です。

制作者は有職御所人形司の12世「伊藤久重」です。

昭和19年伊藤家の長男として生まれ、昭和53年に12世「伊藤久重」を継承。

宮中御用の人形師として活躍される人物です。

f:id:all-of-me:20140726090231j:plain

角之間の廊下の壁際には茶道具を入れる場所があります。

本座敷

f:id:all-of-me:20140726092932j:plain

十五畳敷きの大広間で十二畳の次間が続き、西側と北側に一間の畳廊下がめぐり、板張りの濡れ縁もあります。

二間の本床、床柱は四方杉柾、その北側に書院窓、南側に違い棚を並べ、内法長押・蟻壁長押を廻し、次間境に筬欄間を用いた書院造り。天井はトガ板の鏡天井です。

壁は聚落壁で襖絵も海をバックに帆掛け舟の取出が浮かぶように見せています。

f:id:all-of-me:20140726092937j:plain

隠元書掛け軸

f:id:all-of-me:20140726092940j:plain

扁額は1906年(明治39年)に東郷平八郎により「有一誠」と書かれたものです。

中之間

f:id:all-of-me:20140726083147j:plain

6畳半の畳敷きの間で南側に木製の金庫があり北川に神棚と床があります。地袋のふすまに牡丹が描かれています。

f:id:all-of-me:20140726083157j:plain

制作者は鞍手郡植木町(現直方市)出身で帝展審査員の阿部春峰です。

中座敷(主人居間)

f:id:all-of-me:20140726102658j:plain

床の間、違棚、付書院の座敷飾りを整え、内法長押をめぐらせていますが、次間境の欄間は雲と流水の透かし彫りで、違棚の棚板や張付け壁など本座敷ほど厳格な書院造りではありません。

f:id:all-of-me:20140726102713j:plain

伊藤伝右衛門へ贈られた刺繍屏風

棕欄にトンボ、日の出、鶴、松を描いています。

明治43年、伊藤伝右衛門は全額を出資して群立技芸女学校を設立します。

その後、同校は県に移管されて県立嘉穂高等女学校(現嘉穂東高等学校)となりました。

大正9年3月に卒業生が創設者伊藤伝右衛門に対する感謝の意を込めて制作した屏風です。

f:id:all-of-me:20140726102724j:plain

伊藤伝右衛門が着用した燕尾服 伊藤伝右衛門が衆議院議員を務めていた時に着用した燕尾服です。

襟裏の内ポケットの上に"ito"と名前が入れられています。

f:id:all-of-me:20140726102735j:plain

伊藤伝右衛門が着用した背広(上下) 伊藤伝右衛門が神戸の洋服の老舗であつらえた背広(上下)です。

ズボンの後ポケットの中に"S.TSUMURA KOBE 伊藤伝右衛門様 昭和8年4月15日"の名前があります。

奥座敷

f:id:all-of-me:20140726094647j:plain

本座敷・中座敷(主人居間)のように格式張ってはいませんが風雅な趣を感じます。

f:id:all-of-me:20140726095143j:plain

座敷の襖に描かれた四季の草花、板床の天袋の襖に描かれた蝶、次の間の床の地袋の襖に描かれた草花など上品で女性的な雰囲気が漂う部屋です。

f:id:all-of-me:20140726094654j:plain

伊藤家の家紋のある衣桁です。

修復告示の調査で南蔵の中から発見された衣桁(着物をかける道具)です。

黒漆の上から伊藤家の家紋である「丸に三枡」(男性)と「五三の桐」(女性)が交互に金彩で描かれています。

黒漆塗りの高級品で大正11年1月上旬の日付のある大阪朝日新聞が巻かれていました。

f:id:all-of-me:20140726094700j:plain

御所人形は木から作られ真っ白な肌にぽっちゃりとした肉付きが特徴で、手足など細部に至るまで繊細な木彫りにて作成しております。

f:id:all-of-me:20140726094706j:plain

二階座敷(白蓮の居室)

f:id:all-of-me:20140726084715j:plain

この部屋は柳原白蓮が居室に使った部屋です。上の写真の左奥が一回へと繋がる階段となります。

f:id:all-of-me:20140726084718j:plain

北に面した座敷の正面に一間幅の本床を置き、赤松の床柱、斜め切りの書院窓、落掛けには竹を使い、板床の天井は竹を伊藤家の家紋に似せて細かく㭓形に組み数寄屋風に見せています。

前室は東側に火灯口と躙口を設け、襖には銀箔を張り、丸太の長押、竹の落掛けなど、こちらも数奇屋風に上品にまとめられています。

f:id:all-of-me:20140726084728j:plain

f:id:all-of-me:20140726084731j:plain

f:id:all-of-me:20140726084735j:plain

朝化粧 五月となれば 京紅の 青き光も なつかしきかな

柳原白蓮が旧伊藤邸で暮らした時に詠んだ一首で五月の光の中で朝化粧した時にハマグリの中の口紅になつかしい京都を飯塚からしのんで詠んだ歌です。

大正四年(1915年)発刊の白蓮第一歌集「踏絵」をはじめ、その後、「白蓮自選歌集」や「流天」などに収録され、白蓮がこよなく愛した歌です。

f:id:all-of-me:20140725204352j:plain

柳原白蓮の居室からはこのように庭園を一望することが出来ます。

f:id:all-of-me:20140725204250j:plain

水洗トイレ

f:id:all-of-me:20140726084009j:plain

伊東伝右衛門が白蓮のために造ったといわれる九州初の英国製の水洗トイレです。

竹を多用し全体として数寄屋封に造られたトイレです。

ここには白蓮の希望により九州初の水洗式トイレが取り付けられました。

男性用の円筒状便器は明治末期から大正時代に流行した様式で縁に手書きで染付けの花模様が描かれた上品な造りです。

男性用トイレは当時の状況に復元したものとなっています。

食堂

f:id:all-of-me:20140726082445j:plain

西側に食器棚を設けた洋間で扉に蝶やタンポポが描かれ、華麗な雰囲気を醸し出しています。

f:id:all-of-me:20140726082451j:plain

制作者は福岡市出身で帝展審査員の水上泰生です。寄木張りは応接間に比べ大らかで明治時代後半の特徴を示しています。

洗面所・浴室

f:id:all-of-me:20140726081800j:plain

洗面所の鏡緑には英国ビクトリア様式の装飾を施し、格調高い造りです。

f:id:all-of-me:20140726082129j:plain

f:id:all-of-me:20140726082102j:plain

浴室の天井は湯気抜きが網代風に造られています。檜風呂に推定復元しています。

西座敷(裁縫室)

f:id:all-of-me:20140726100121j:plain

1906年(明治39年)頃の建築当初は西座敷として使用されていましたが、1934年(昭和9年)頃の増改築により裁縫室となり、次間は女中室になりました。

西座敷は10畳敷で西側全面を二間踏込床で飾っています。

地板は見付操形で南端に切束付の地袋を置き、その上に天袋を釣束で釣り、後壁に格挟間窓をくり抜き、北側には取込付書院を出し、その幕板に木爪形を浮き出します。

北・東側は榑縁が回っています。

f:id:all-of-me:20140726100149j:plain

山水図(複製)

年代は中国明時代(1368〜1644年)約500年前。

作者は五峰(呉峰)文 伯仁。明時代の著名な山水画家。

明治20年(1887年)頃、約120年前、伊藤伝右衛門が父、伝六とともに石炭採掘事業を受け、事業協力の感謝として、伊藤家から同家にお礼として贈られた掛軸です。

吉積和三氏より寄贈。

伊藤伝右衛門の邸宅跡 - 関連ページ