柳原白蓮と白蓮事件のまとめ

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伊藤伝右衛門の反論文1

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このページでは柳原白蓮が伊藤伝右衛門に向けて書いた絶縁状に対して、伊藤伝右衛門が大阪朝日新聞の記者「北尾」のインタビューに応じて始まった反論の連載1回目に掲載された反論文をご紹介致します。

※ ちなみに大阪朝日新聞への連載は伊藤伝右衛門からの申し出により、4回で打ち切りとなりました。

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反論文1 - 1921年(大正10年)10月24日

燁子!

お前が俺に送つた絶縁状といふものはまだ手にせぬが、もし、新聞に出た通りのものであつたら、随分、思い切つて侮辱したものだ。

見る人によつたら、安田は刀で殺されたが、伊藤は女に筆で殺されたといふだろう。

妻から良人へ離縁状を叩きつけたといふことも始めてなら、それが、本人の手に渡らない先に、堂々と新聞紙に現れたといふのも、不思議な事だ。

俺は此記事を新聞で見て一時は可なり_奮した。

併し、今は少し落つい、静かに考へるとお前といふ、一異分子を除き去つた伊藤一家が、如何に今後円満に、一家団欒の実を挙げ得るかということを思つて却つて、俺自身としては将来に非常な心安さを感じてゐる。

来年は俺も還暦だ。

漸次年齢を老つたから、伊藤家を、合資組織にして、お前に対する俺の没後の財産処分方法などを考へてゐるところであつたが、それも、もういらぬ事になった。

俺の一生の中の最も苦しかつた十年を一傷の夢と見て、生れ変わつたつもりで、すべてを、建て直さう。

今後手当に頓着せず、誰か、一家の取締をするによい人を探し出し、女中に一切家庭上の事を一任して、静かに子供の行末でも眺めやうと思つてゐる。

お前から送つたと伝へられる絶縁状を見ると私としてもの言分も何かの機会に云つて仕舞ひたくなつて来る。

抑も、お前との結婚問題からが、不自然なものであつた。

十年以前の記憶を辿ると其時の事がまざまざと俺の頭に浮かんで来る。

当事、妻を亡くした俺には、お前より前に京都の其家との結婚問題が起きて其方が殆ど纏りかけてゐた。

そこへ、ふと、お前の話が持ち上り、京都の北小路!

餘り裕でない華族に嫁いでゐて、貧しい生活から逃げるやふに、柳原家へ帰つた出戻りの娘ではあるが、貧しさには馴れてゐぬ妾腹の子で、母は芸妓だからといふ申込みで、上野の静養軒で見合ひをした。

その時お前はまだ幼かつたふく子さん、とく子さん、の二人を連れて来てそこで始めてお前といふものに逢つた。

お前は此日見合ひということを気づかなかつたらしい。

それから其晩有楽座へ来て呉れといふことで、その劇場では、柳原伯夫妻に初めて逢つた。

追つて話を進めることにして、九州へ帰つて来ると、幸袋の家へ帰りつかぬ前に、最初の橋渡であつた得能さんから、電報が来てゐて、話が纏つたから、すぐ式を挙げたいとあつたので全く狐を馬に乗せたやふな気がした念があつたものだった。

そして、結納の取交せを済ませたが、此結婚談は最初から餘り好い都合に運ばなかつた。

当時若松にゐた某々が、此縁談を種に、金子にしやうとして、俺の処に入込み、今度の黄金結婚を東京の新聞が書くと云つてゐるとて、其口留料として、相当の金高を要求した。

俺は之を一も二もなく跳ねつけたが、其結果は、此男がよい加減の材料を東京の某新聞社に売つて、そこで、燁子の身代金として何万円かを柳原家に贈つたの、それは義光伯の貴族院議員選挙の運動費に費ふのだの、伊藤は金子に依つて権門を買ふのだなぞと書かれた、俺は餘りよい気がしたかつたので急に嫌気がさし、すぐに破断を申込んだが、間に入る人々になだめられて、とうとう結婚式を挙げた。

今考へるとあの時少し俺が云ひ張つたら、十年という長い間の苦しい夢も現れなかつたであらう。

柳原家へは俺としてはお前のために鐚一文贈つたことはない。

この風説は柳原さんにお気の毒なことと思つてゐる。

結婚の第一日一平民の・・・・・・

お前からいふと一_民の私の頭に、不思議に感じたことがあつた。

式が終つて、自動車で、一緒に、旅館へ引揚げて来た時、お前は、どうしたのか室の片隅でしくしくと泣いた。

付き添ひの者達が、芽出度い時に涙は不吉だと云つて、諭したがお前は却々止めなかつた。

俺は実家を離れる小さな娘心の涙かと思つたが、当時出戻りとして柳原家で、可なり厄介視されてゐたお前である。

この涙は、自動車に乗る時、一平民たる俺が華族出の妻を後にして少しも尊敬せず、労らず先へ乗つたといふことがお前の自尊心を傷け、そのために落す口惜し涙だといふことが解つて、実際、これは大変な妻を貰つたと思つた。

お前の雅号にしてゐる白蓮!

お前はある人に、伊藤のやうな石炭掘りの妻にこそなれ伊藤の家のやうな泥田の中に居れ、我れこそは、濁りに染まぬ白蓮といふ意味でつけたのだといつたといふ。

その自尊心、さういう結婚式の第一日に見せられた。

自尊心乃至持病のヒステリーは、此十年間、どの位、俺を苦しめたこととおもふ?!

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