柳原白蓮と白蓮事件のまとめ

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伊藤伝右衛門の反論文4

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このページでは柳原白蓮が伊藤伝右衛門に向けて書いた絶縁状に対して、伊藤伝右衛門が大阪朝日新聞の記者「北尾」のインタビューに応じて始まった反論の連載3回目に掲載された反論文をご紹介致します。

※ ちなみに大阪朝日新聞への連載は伊藤伝右衛門からの申し出により、4回で打ち切りとなりました。

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反論文4 - 1921年(大正10年)10月27日

殁くなつたおゆうの事も、初めはお前が寂しいといふから、お前の侍女として家へ入れたので、おゆうが家に来てからは、少しはお前のヒステリーも治つたやうだつた。

年は若いけれどおゆうは怜悧な女で、よく、お前と私との間の調和をとつて呉れた。

お前に代つてよく私に侍く一方、お前のためにも、よい女房であつたに違ひない。

おゆうのために、どの位、家庭が円滑に行つたことか知れない。

お前の極端な好悪の烈しい性質、そして物を信じ易い、情に弱い危険な性分、おゆうは、そこをよく呑み込んでゐた。

そして少し感傷的に持ちかけられると、お前は、もうおゆうでなければならなくなつたのだ。

俺は、決して品行方正であるとは云えない。

併し、何等の愛情がなく、自分を自分から人形だといふ看板をあげて、ただ時々に、それもお前より起こる俺の脅かしに、征服されてゐる病的な妻のみを擁して家庭の満足といふことは得られるものではない。

そして、お前は又俺にさういふ、所業を当然のことのやふにして絶えず勧めたではないか。

俺は、自分の今まで不品行であつたことを自覚すればこそ、お前が絶えず若い男と交際し、時には、世間に憚るやうな随分な作業までも、黙つて --- 傍から眺めてゐた。

今度の船子のことなども自分として、もう止したらといふのを、おゆうもゐないし、どうか私の話相手にしてと、頼むからお前のよいやふにさせたのだ。

お前はそれを金力を持つて女を虐げるものだと云つてゐる。

俺自身の考へではない。

お前こそ同じ一人の女を犠牲として、虐げ泣かせ、心にもない、跪きをさせてゐるのではないか。

又さういふことが口惜しくば初めから女は来ねばよいのだ。

立派に承諾し、立派に其れを運命とあきらめ、又それだけの代償を得て、美しい衣服を着て、嬉んでゐるではないか。

今度のお前の家出で最も強い原因となつたと思ふ。

例の金次の嫁の事も、ただお前は理由なしに、艶子の顔さへ見れば憎いといふ、俺の目から見て、あの位温順な、あの位物やさしい嫁はないと思つてゐる。

其艶子に男の子供が出来た。

お前は金次を伊藤家の相続人として立てたといふことが、お前をどれだけ亢奮させてゐるかといふことをよく知つてゐる、中間に別家をして年に一度か、二度しか顔を見せない、嫁が、どうしてあれほど憎いのか俺には解らぬ。

正月と盆、毎年伊藤家では一家親族が皆寄り集まつて、楽しい顔合わせをする例となつてゐるのが、お前故に此一門の集合は何だか一年中の厄日の如くなつて終わつた。

お前は恁うなると、まるで子供のやうに、手もつけられずすべてのものを、焼き盡くさうとした。

お前のヒステリーは、お前の趣味性を満足させるだけの話相手のない幸袋の家で最も多く起つた。

その点からいふと、博多には、お友達も多いし、又いくらか気が紛れてよからうと思つてあの天神町の家を建築して、それに移さうと考へたのだ。

お前が浄めの間がほしいといふから、立派な、祭壇も拵へてやつた。

尤も、あの建物は、半ば市の公共的建物として、貴顕のご旅館にも充てられ、公会堂などなどしても、使用が出来るやうに、母屋との境を、厳重にして、すつかり隔てのつくやうに設計した。

そして、此建物も、お前の気の済むやう、お前の好きな、お前の鑑識に依つて家へ来た。

静子の養子、秀三郎の名義にしてやつた。

それから、尚ほお前は京都にも一軒家がほしいといふから、今お里のやつてゐる、伊里の建物を、お前の名義にしてやつたではないか。

俺の家庭の複雑な事は、初めからお前がよく知つている筈だ。

結婚の当時俺に秘されてゐた。

北小路との子供の事に就ても、毎月相当の学資を送つてある筈だ。

北小路家は柳原家から出てゐるので、柳原家からも黙つて居れず、殊に勉強中の当人の意志も尊重したいといふことで、俺は、申出での三十円だけの仕送りを別に与へてゐた筈だ。

お前は、虚偽の生活を去つて、真実に就く時が来たといふが、十年!

十年と一口にいふけれど、十年間の夫婦生活が虚偽のみで送られるものでもあるまい。

長い年月は虚偽も亦真実と同様になるものだ。

嫌なものなら、一月にしても去ることが出来る。

何のために、十年といふ長い忍従が必要だつたか。

お前は立派さうに「罪ならぬ罪を犯すことを恐れる」と云ふが、さういふ罪を俺に対して、恐れるほどの、真純な心がお前にあつたか、どうか。

十年間は夢であつた。

この十年間は俺にとつて一生涯の一番辛いものだつた。

お前は八郎に、柳原家の妾腹の娘を入れて、家の相続をさせやうと建議したが、俺がこれを聞かなかつたことにも、可なりな不平をもつてゐる。

併し其時、俺の腹には、もうどんなことがあつても、平民の子に家族の嫁は貰はないといふ決心がついてゐたのだ。

俺は此結婚に後悔の臍を噛むでゐる中から、どうかして、これも縁あればこそだと思ひ返し、何とかして、お前のひねくれた心を真実の心持ちに目覚めさせたい。

誰にもよいお前の持つてゐた無邪気さを生々とさせてやりたいと、今日まで努力したが、それもみな、水泡に帰した。

お前が人の妻としての資格のある女であるかどうかといふことを、まあお前の愛人に試験して貰つたがよかろう。

俺は、それでも楽しみにして眺めてゐやふ(完)

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