柳原白蓮と白蓮事件のまとめ

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伊藤伝右衛門の反論文2

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このページでは柳原白蓮が伊藤伝右衛門に向けて書いた絶縁状に対して、伊藤伝右衛門が大阪朝日新聞の記者「北尾」のインタビューに応じて始まった反論の連載2回目に掲載された反論文をご紹介致します。

※ ちなみに大阪朝日新聞への連載は伊藤伝右衛門からの申し出により、4回で打ち切りとなりました。

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反論文2 - 1921年(大正10年)10月25日

お前が俺の家に来てから、第一に起つた大きな出来事は、例のおさきの問題だつた。

女中はいくら沢山にゐても、いつかは、他家へ縁付いて終ふものだから、一人位は生涯家にゐて、家を死場所とするやうな、忠実な女中がほしい。

そこへ行くとおさきは、古くからゐて、実体な質もよく解つていゐるから、家庭一切の事は、なるべくおさきに任してゐたのだつたが、其内妻に、ぽくりと死なれて、終ひ、それ以来は、夜具一枚、皿一枚の出入れも、おさきがゐなければ分からなくなり、おさきにも一生涯、家にゐるやる、親許へも話して承諾させ、今、大正鉱業の社員をしてゐるあの原田と_合せて其当時原田には家の出納係をさせてゐたのだ。

さういう過程へ乗込んだお前は、先ず第一におさきのすることが気にいらなかつた。

良い者には、どこまでも良い、悪いとすると、どこまでも悪い。

さういう極端から極端の頑固な性質も持つてゐるお前は、お姫様育ちで主婦としての何の経験も能力もない自分の事は棚に上げて終ひ。 おさきが忠実々々しく家内に立働き、他の女中までが、あれを立てるのを見て、お前はむらむらと例のヒステリーを起した。

おさきのすること、おさきの顔を見れば腹が立つと云つて泣いた。

さういうお前の病気に付け込んで、あの裁縫師に雇つてあつたお静がお前に近寄つて行つた。

お前はすぐ渡りに船でお静を又ないものとした。

お静は、お前の手から実家に残した子供の通学費を出させ、おさきの勢力を奪ひ、奥様付として伊藤家の家庭を我物顔に振舞はうとしたのだ。

併し、お静の、謀計がある手紙から暴露して、それをお前に突きつけた時は、遉に、目が覚めたやうだが、併し、おさきに対する嫉妬的な狂人染みた振る舞ひは益々_になつて止め度がなく、毎日、病気と云つては寝て終ひ。

食事もせずにお前は泣き通してゐた。

「女中風情が、主婦としての私の権力を犯す」

さういうことを、一途に考へたお前には、何を云つても、受付けられなかつた。

おさきがよく知つてゐるから、おさきの方が便利だと思つて、何気なく命令けることも、すぐにお前の嫉妬となり、恐ろしい自暴となつた。

当時幼さかつた、八郎は、生まれた時一番可愛かつた。

家へ引き取つて、育てることになつてからは殊に、自分の子供のやうな気がした。

夜なぞその子を、一緒に床に入れて抱いて寝たらと云ふと、お前は平民の子を抱いて寝るといふことを死ぬよりつらひ屈辱だと云つて、声を挙げて泣いた。

さういう豪い母に平民の子が馴付かう筈はない。

子供は、お前の顔を見ると、急に笑つてゐたのも、べそをかいた。

さういう泣声が又、お前の神経的な、我儘な、自尊心を呷って、手もつけられぬほど、泣き出して仕舞ふ。

俺の家はすつかり暗くなつた。

妹の子供があること、其他家族の模様は、結婚に先だつて、逐一柳原家に書札を入れて、明かにしてある筈だ。

却つてお前が北小路家で生み落としたといふお前に出来れば少しも差支へがないのだ。

併し、家庭の主婦として、伊藤家のすべてを切廻して、やつて行くといふことは、とても、当時のお前に出来ない相談だつた。

お前はただ、一途に自分を侮辱するものとして、喚いた。

金銭の計算さへ知らず、伊藤家の財産が有餘るものとのみ見てゐるのかして、時々、子供のやうなことを云ひ出す。

いつか、野田さんと一緒に早良郡の箱島に遊びにいつたとて、その箱島が気に入つたから、あの島を買つて呉れと強請まれた時には全く二の句が告げなかつた。

世間知らず、お前は骨董のやうに買はれた身だと云つて歌や、文に書くけれど、飾物にして置かなければどうにも、危険ではないか。

本当に、伊藤家のために働き本当に伊藤家の中心となり、家を納めて行かうといふ。

さういふ心棒ちからが、お前にあるかどうかを俺は疑はず危まずに居られないではないか。

俺はお前が来て此年まで、お前の我儘や、ヒステリーには困りながら、世間に向かつてお前の事を爪の先ほども悪く吹聴したことはない。

それだのに、お前は、世間のどの人よりも、俺を罵り、どの人よりも悪い仇敵として呪つてゐたではないか。

おさきの事も、おさきだけの仕事が、立働きがお前に出来れば、少しも差支なかつたのだ。

それが、漸々と嵩じて、遂々俺も手を切り正式に離別問題を持ち上げて、其結果お前は暫く、柳原家に帰つた。

併し、柳原家からの、懇々とした頼みもあり、それでは、こちらも何とかしやふといふのでおさき夫婦は別に原田を大正鉱業の社員として家から出すこととし改めてお前を迎へた。

お前の立場を明かにしてやつた。

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