柳原白蓮の子供と生存する子孫について
PR
このページでは柳原白蓮の子孫についてご紹介したいと思います。
まずは柳原白蓮の血のつながった実の子供についてまとめておきましょう。
以下、本ページの目次となります
- 3度の結婚と3人の血の繋がった子供
- 生存の確認がとれている柳原白蓮の子孫について
- 宮崎蕗苳さんと宮崎黄石さんについて
PR
3度の結婚と3人の血の繋がった子供
柳原白蓮は生涯に渡って3度の結婚をしております。
最初の結婚は1900年(明治33年)に北小路資武との結婚で、北小路資武との間にはその翌年、功光という名前の男の子を出産しております。
最初の子供を出産した時、柳原白蓮は当時16歳でした。
北小路資武とは1905年(明治38年)に離婚をし、1911年には白蓮事件でも有名な福岡県の炭坑王である伊藤伝右衛門と再婚をします。
しかし、伊藤伝右衛門は過去に睾丸の手術を受けていたため子供を作ることが出来ない体となっており、柳原白蓮と北小路資武の間に子供が出来る事はありませんでした。
そして、1921年には柳原白蓮は白蓮事件を起こし、当時の夫であった伊藤伝右衛門と離婚ををし、離婚する前には既に宮崎龍介との間に出来ていた長男「香織」を翌年1922年に出産致します。
また、1925年には長女の蕗苳を出産しております。
生存の確認がとれている柳原白蓮の子孫について
柳原白蓮の1人目の子供である北小路功光は1901年生まれのため既に亡くなられておりますが、北小路功光が結婚をしているのか、また、子供がいるかどうかという情報はわかっておりません。
次に柳原白蓮の宮崎龍介との間に出来た長男の香織に関してですが、香織は1944年に早稲田大学政経学部在学中、学徒出陣し、翌年1945年には所属していた陸軍の鹿児島県串木野市の基地が爆撃を受けて享年23歳の若さでこの世を去っております。
最後に柳原白蓮の宮崎龍介との間に出来た長女の蕗苳ですが、蕗苳さんは現在88歳で今も生存されております。
2014年にはNHKドラマの「花子とアン」に登場する葉山蓮子のモデルが柳原白蓮とされているため、蕗苳さんは母である柳原白蓮に関して、女性自身のインタビューにも答えていたようです。
宮崎蕗苳さんと宮崎黄石さんについて
宮崎蕗苳さんは大正14年9月6日に宮崎龍介と柳原白蓮の長女として生まれました。
宮崎蕗苳さんは華道家でもあり、奈良山村御流 - 東京精華会に所属されているようで、現在は東京都豊島区の目白に在住されているとのことです。
また、宮崎蕗苳さんの祖父である宮崎滔天は日本で孫文を初期の頃から支援し、中国の辛亥革命に貢献した革命家でもあるため、現在は滔天会という会を主宰されているようです。
滔天会は日本で孫文達を支援して、辛亥革命を支えた革命家、及び浪曲家である宮崎滔天の後人が開催される会で、日中交流に多大な貢献をしている会とのことです。
また、宮崎蕗苳の母が柳原白蓮であることから、柳原白蓮に関する取材や講演に応じたり、また、柳原白蓮の展示会や出版物にも関わっているようです。
そして、宮崎蕗苳さんには黄石という名前の長男がおり、宮崎黄石さんも母「宮崎蕗苳」と同様に柳原白蓮に関する活動をされているようです。
柳原白蓮の最初の歌集『踏絵』の復刻版は、宮崎黄石が発起人となって作られたということでした。